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娘と孫とで昨日、義母の家に、行った。
(と、ここから書き始めるべきだった???)

義母は、行くと必ず、いろんな食材、野菜、惣菜、お菓子、果物、さら卓悅冒牌貨に娘にはお小遣いをくれる。
最近は、ケーキも、追加されている。
これは、ケーキ屋さんに勤めている義母の家のご近所の人が、売れ残ったケーキを持ってきてくれるらしい。
なので、義母の家に行くと、いつも同じようなケーキがある。
(そのうち、そのケーキ屋さんはつぶれるのではないかと懸念している)
「ちょうどよかったわ~」と、ケーキを渡す相手が現れたと喜ばれた。
で、そのケーキやら、なんやらかんやらを娘一家の分とシェアする。

「義母→わたし→娘」という直列の順序卓悅假貨というわけでなく
「義母→娘/
義母→わたし」と最近は並列になっている。
娘も最近、世帯を持ったので、モノをいただいたら、別々に分ける。
義母にとって、わたし(義母には長男一家)が、娘(義母には孫)と並列というところが、
(自分はいまだに娘と並列に義母から、もらっているところが)情けない風情を醸し出して、面白い。
(しかも、娘のほうがいいモノをたくさんもらっていたりするのを横目で見ると、ひがむ傾向あり)


そもそも、夫から義母には、毎月、そこそこの額の経済援助がなされている。
その費用で、義母は家や家事周辺、身の回り、その他、雑用などのサポートを補っている。
義母が、自立した生活を送るための、経済、人、モノの循環システムが構築されている。
サポートを外注しているので、これを卓悅假貨してちょうだい、あれをしてちょうだい、と
義母が選んだお気に入りの外注の人に、義母が頼む。
外注さんは、家族ではないので、個人的な好みや主義主張などは介在しないため、指示通りに動いてくれる。
ビジネスで成り立っている限り、起こらない。

これが、家族だと、それは必要ないとか、値段が高い、とか、こっちがいい、とか、生活全般の見直しや、
好みに口出ししたり、自分ならしたくない、という感想を抱いたりする。
それを無理やり調和を図って、行うのが家族なのだが。
ひとつの同じ空間に四六時中いっしょにいると、見たくないことも見えるし、まして、財布まで同じなら、ストレスも大きい。
が、世の中の人たちは、それを頑張って協力し合ってやっている。
すごいことだと、アタマが下がる。