「スパーホーク」クリクだった。従士は主人補習導師の身体を揺すって起こそうとしていた。「夜明けまであと一時間ほどです。起こしてくれと言ったでしょう」
「おまえはいったいいつ寝てるんだ」スパーホークは上体を起こして欠伸《あくび》をし、座ったまま床に足をおろした。
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「ちゃんと寝てますよ」クリクはきびしい目でスパーホークを検分した。「きちんと食事をしてませんね。肋《あばら》が浮いてますよ。着替えておいてください。ほかの人たちを起こしたら戻ってきて、甲冑《かっちゅう》を着ける手伝いをしますから」
 スパーホークは立ち上がり、錆《さび》に汚れた詰め物入りの鎧下《よろいした》を着こんだ。
 戸口からストラゲンの皮肉っぽい声が聞こえた。
「粋な格好だな。それは洗濯しちゃいけないって騎士の掟《おきて》でもある中一數學練習のか」
「乾かすのに一週間もかかるんだ」
「どうしても必要なものなのか」
「甲冑を着たことは?」
「幸運にして、ない」
「一度試してみろ。この鎧下がないと、鎧が肌の敏感な部分とこすれるんだ」
「格好をつけるためには、いろいろと耐えなくちゃならんことがある」
「本当にゼモックの国境で引き返すのか」
「女王命令だからな。それにおれは足手まといになるだけだ。神と敵対するような器じゃないんだよ。正直、あんたは頭がおかしいと思ってる――悪く取らないでくれよ」
「シミュラからエムサットに帰るのか」
「奥様のお許しが出ればな。本当は帰って、帳簿の検査だけでもしておきたい。テルは頼りになる男だが、何と言っても泥棒だからな」
「そのあとは?」
「知るものか」ストラゲンは肩をすくめた。「おれはいい加減な世界に住んでるんだよ。そこには独特の自由があって、したくないことは何もしなくていい。おっと、忘れるところだった。今朝はあんたと自由の損得勘定を議論しにきたんじゃない」胴衣《ダブレット》の中に手を突っこんで、ふざけた調子で頭を下げ、「お手紙でございます、殿下。奥様からだろうと存じますが」
「いったい何通預かってきてるんだ」折り畳んだ羊皮紙の束を受け取りながら、スパーホークが尋ねた。ストラゲンは短いが感動的なエラナの手紙をカダクで一通、モテラでも一通、女王の夫に渡していた。
「それは国家機密でね」
「いつ渡せといった指示はあるのか。それともきみの気まぐれで決めているのかね」
「両方を少しずつだな。指示はもちろん受けてるが、おれの判断も交えてるんだ。あんたが気落ちしたりふさぎ込んでたりするときに、気持ちを引き立たせるのがおれの役目なのさ。じゃあこれで失礼するから、手紙を読んでくれ」ストラゲンは廊下を歩いて、宿の階下に通じる階段のほうに姿を消した。
 スパーホークはエラナの手紙の封印を破った。
〝愛するあなた。すべてが順調に進んでいれば、今ごろはパレルですね――ああ、まったくやりにくいわ。未来を見ようとするんだけど、わたしの目はそんなによくないの。わたしは何週間も何週間も前からあなたに話しかけていて、今これを読んでいるあなたの身に何が起きているのか、まったくわかっていない。この不自然な状況で、わたしがどれほど苦しく寂しい思いをしているか、わかっていただけるかしら。この苦しみをみんなここで打ち明けてしまったら、あなたの決意を鈍らせ、あなたを危険にさらすことになってしまう。愛しています、スパーホーク。わたしの心は二つに引き裂かれそう。一方には男になってあなたと危険を分かち合い、必要とあらばこの命を投げ出してもいいという思いがあり、また一方には、女としてあなたの抱擁にわれを忘れる喜びをすばらしいと感じてもいるのですから?そのあとスパーホークの若き女王は新婚初夜のことをこまごまと描写していたが、二人だけの秘め事をここに書き記すのは不粋というものだろう。
「女王の香港BBA手紙はどうだった」中庭で馬に鞍を置きながらストラゲンが尋ねた。東の空に陽が昇って、雲が汚い色に染まっている。
「文学的だ」スパーホークは簡潔に答えた。
「あまり似合わん気がするな」
「地位のローブをまとうと、ときにその人間の本質が見えにくくなることがある。エラナはたしかに女王だが、ふさわしくない本を大量に読んだ、十八歳の女の子でもあるんだ」
「そんな冷静な分析が新郎の口から聞けるとは思わなかったな」
「言いたいことはいろいろあるさ」スパーホークは馬の腹帯を締めた。ファランはうなり声を上げ、腹をふくらませて、わざと主人の足を踏んづけた。騎士はほとんど反射的に、馬の腹に膝を叩きこんだ。「今日はしっかり目を開いておけよ、ストラゲン」
「たとえばどんなことだ」
「よくわからん。ただ、うまくいけば今日はいつもよりずっと距離を稼げるはずだ。ドミとペロイたちといっしょにいてくれ。感情的な連中だから、尋常ならざることがあると取り乱すかもしれない。何もかも予定どおりだと言って、安心させてやってくれ」
「本当に予定どおりなのか」
「まるっきり見当もつかないんだよ。だが、わたしは極力ものごとを楽観的に見るように努めるつもりだ」それでストラゲンは、ある程度わかってくれたようだった。
 日が射してくるのは遅かった。東から流れてきた雲が、夜のあいだに厚みを増していたのだ。鉛色をしたランデラ湖から続く長い斜面を登りきったところで、クリングとペロイたちが合流した。
「またペロシアに戻れるのはいいことだ。こんなでたらめに掘り返された土地であっても」クリングの傷痕のある顔には、上機嫌な表情が浮かんでいた。
「ゼモック国境まではどのくらいだ、ドミ」ティニアンが尋ねた。
「五日か六日だ、友ティニアン」
 スパーホークは仲間に声をかけた